河越城 田郭門跡(川越市)
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mixi記事コピペ――
「河越城南面(富士見櫓)(埼玉県川越市)」
2014年01月21日 00:44
関東七名城。日本100名城。河越城という表記は中世における。近世以降 川越城と表記される。
初雁城(はつかりじょう)、霧隠城(きりがくれじょう)とも呼ばれた。
※初雁城――城内の三芳野神社に「初雁の杉」があった。毎年同じ時期に北から初雁が飛来し、杉の真上で三声鳴き三度回って南に飛び去った、という故事からその名がついたという。太田資長が河越城築城祝いで開いた宴の折にも初雁が来て鳴いたことから資長が「初雁城」と命名したという。
※3代目の初雁の杉が神社の社殿裏にある。
霧隠城――城内に「霧吹きの井戸」という井戸があり、普段は蓋をしておくが危急の際は蓋を開くと霧が城を隠した、という伝承による。井戸は移築され、市立博物館の前庭にある。
築城、長禄元(1457)年
築城主、太田道真または資長(道灌)
武蔵国は扇谷上杉氏と古河公方(足利氏)の係争地だった。
当代 上杉持朝は、家宰の太田道真、資長父子に足利氏勢力(古河城・関宿城・忍城など)に対抗する本拠地として河越城築城を命じた。この次に江戸城築城が行われている。持朝は初代河越城主、家老資長が初代江戸城主となる。
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埼玉巡回マップ→ https://drive.google.com/open?id=1n7FXl59z93Omd64JgBAzU4whzdY&usp=sharing
アルバム: 埼玉県3(秩父・西部・川越比企・北部)/武蔵国1
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